外資系コンサルの意識高い日常

外資系コンサルのサラリーマンが意識高い(系)の日常をpostします。就職、転職、留学、自己啓発やその他考え方など

感謝の方法について

 人に感謝を伝える方法はいくつかありますが、大人になっていろいろな照れやプライドで、ストレートに伝えることができなくなっていませんでしょうか?今回は、意識高い私が実践している感謝の方法について伝えていきたいと思います。

 

①実績をつくる

 まず、お世話になった人たち(親、奥さん、会社の上司や同僚など)に関する感謝の方法は、成長した姿を見せることだと思っています。成長した姿というものの具体的な成果は、実績を作ることです。仕事の成果でも何かの資格でも賞でも年収でも構いませんが、分かりやすい何かを手に入れることが、一番わかりやすく実績になるでしょう。それらをはお世話になった人たちに対する一番の感謝の方法だと思っています。時間的・物理的な投資やサポートしてくれた人に対して、結果以外で恩返しするのはとても困難です。まずは最優先に、自身が結果を残すことを考えましょう。

 

②ストレートに伝える

 感謝の気持ちほど、変化球によって台無しになるものはありません。ありがとう、嬉しいなどというポジティブな気持ちは、そのままストレートに伝えるべきです。口頭で言えなければメールやテキストで構いません。それを少しでも濁して、自分の気持ちが100%伝えられないと一生後悔すると思います。多少の恥背負ってでも、素直に伝えたほうが絶対に良いです。

 

③お金を払う

 大人になればなるほど、お金を払うことの意味が大きくなってきます。普段は割り勘でも、その時だけは奢りましょう。1万円でも2万円でもいいのです。おそらくそれをしてもしなくても、相手の満足度はそこまで変わらないでしょう。お互い大人ですから、一度の食事を誰が払ったかなど誤差にすぎません。ただ、自分がその時に一つの区切りができるというか、少しだけ大人になれた気がして、自分の満足度が高まります。意味のない自己満足かもしれませんが、私は感謝を伝えたいときはお金を払おう、と決めています。

 

④ベタベタしない

 これは人付き合いの在り方、みたいな話なので人それぞれかと思いますが、お世話になった人にいつまでもお世話になりっぱなしという状態は健全ではありません。人生にはいくつかのフェーズがあって、親に育ててもらって自立していくように、お世話になって卒業して、という事象の連続です。小学校の先生と未だに連絡をとっている人はあまりいないでしょうし、それが健全だと思うのです。昔お世話になった人とはある程度の距離をおいて、節目で成長した姿を見せれるように、自分に時間を使った方がいいでしょう。

 

<一人で生きているという錯覚>

 毎日忙しく仕事をしていると、一人で生きているような感覚に陥ることがありますが、やっぱりそれは錯覚で、色々な人に支えられて生きているのです。でも、それを必要以上に意識して周りに気を遣う必要はないし、そういった環境をいい意味で利用して、自身を成長させていくのが最適解です。そして、とあるタイミング(個人的には、お土産として実績や結果を伝えられるタイミング)で感謝を伝えればいいと思っています。そしていつか、私自身が周りの人に価値を提供して、周りの人達が成長したり、新しい何かを見つけられるようなことが起こればいいと思っています。

マウンティングのない世界へ

 世の中はマウンティングで溢れています。一般的にマウンティングとは、仕事、年収、彼氏、結婚、子供などの議題に対して、持っている人が持っていない人に対して字自虐風に自慢する、ということと理解しています。例えば、結婚して子育てしている人が、「独身は気楽でいいよね~」といった感じで独身男女に提言することです。

 

①マウンティングの起源

 マウンティングとはいつから始まったのでしょうか?自身の幼少期を思い返すと、おもちゃの有無や旅行の有無など、少なからず友達に自慢したり自慢されたりしていたような気がします。「友達が持っているから私もおもちゃを買ってほしい」などという文脈は、まさに小学生のマウンティング事情を表していると思います。もちろん個人差があり、そういった経験がない方もいるでしょうが、残念ながら私たちは根っからのマウンティング気質なようです。

 

②マウンティングは悪か

 マウンティングの根底にあるものとして、「自分の話を聞いてもらいたい」という欲求があると思っています。その欲求はかなり健全なものだと思っていて、自分の話を聞いてくれる存在は自身の精神をかなり安定させます。小さいときは多くの場合、それがお母さんという存在で、また思春期を迎え、親友や彼氏・彼女に変わっていくでしょう。たいていの悩みは、人と話してしまえば和らぐものです。しかし、そのうえで「肯定されたい」という欲求がすこし話をややこしくしてしまっていると思います。

 

③肯定されたい、という欲求

 「話を聞いてもらいたい」という欲求をベースに、「自身を肯定されたい」という欲求が重なります。誰しも自分の話は否定されずに聞いてもらいたいし、自分の選択が正しかった、と肯定されたいという欲求は少なからずあると思います。しかし、それが一定のレベルを超えてしまったときに、マウンティングが発生してしまう、と私は考えています。「自分の意見を肯定されたい」「自分の選択は正しい」ということを確認するために、異なる意見や環境にいる人たちに対して、マウントをとることで黙らせ、否定意見を牽制しているのです。

 

④ではどうすればいいか

 上記よりマウンティング発生のメカニズムについてはご理解いただけたかと思います。では、マウンティング合戦を防ぐにはどうしたらよいのでしょうか。結論としては、「その場の空気に多様性を持たせること」だと思っています。例えば、国籍が違う人が数人集まった時に、マウンティング合戦は起こりません。誰かの普通は、他の誰かの普通ではなく、年収も家族構成も違って当たり前だからです。友達も同僚も、たまたま一瞬場所が交わっただけでまったく違う環境で生きているのですから、誰がいつ何をしようと気にしなくていいのです。人の数だけ人生があるのですから。

 

<マウンティングのない世界へ>

 私はマウンティング合戦みたいな会話や飲み会が好きではありません。理由は、異なるフィールドや前提を元に意味のある議論ができるわけがなく、結果として楽しくないからです。自分の意思決定が正しいことは、自分でしか証明できないのです。その意思決定に対するインプットが異なるのですから、他人に評価してもらっても、されなくても、何の意味もありません。近況報告が間接的なマウンティングになり得るなら、別にその話題すら要らないと思っています。友人というのは、近況を報告するだけの対象ではありません。この広い世界の中で、偶然出会った人たちとどんな時間を過ごすのか、どうやったら楽しく過ごせるのかというのは永遠のテーマですが、「あいつのことはよく知らないけど友達だよ」と言って、笑って過ごせる関係性も悪くないと思います。

平日のランチをやめた話

 最近平日に昼食を食べるのをやめました。そもそも外資系コンサルでは昼を食べない人が多く、全く理解できなかったのですが、その人たちに合わせていくうちに慣れて来て、その状態が普通になると色々といいことがあったので書いて行こうと思います。

 

①眠くならない

 私にとって一番のメリットは、昼食後の眠気がなくなったことです。つい昼食を食べ過ぎて、その後1時間くらい眠気と戦う時間があったのですが、それが全くなくなったことは生産性の向上にめちゃくちゃ寄与します。また昼に何を食べるか、ということも考えなくてよくなり、思考の余白も増えたと思っています。

 

②1時間多く働ける

 単純に、昼休みに行かなければ1時間多く働けます。それは1時間早く帰れることを意味しますので、働き方改革の一つです。そもそも私たちコンサルタント裁量労働制なので、残業はしなければしないほど得なのです。早く仕事を終わらせることができるのであればそれは完全に正義です。

 

③忙しい時にストレスがない

 いつも昼食をとっている人でも、忙しくてランチに行けない日はあると思います。そういった時に、空腹という普段と違う状態が継続するのはストレスになります。実際私も昔はそうでした。しかし、現在はランチに行けない状態が普通なので、忙しかろうが続けて働こうが通常状態と同じなので、全くストレスがありません。

 

④お金が節約できる

 ランチ代は1日1000円かかるとして、20営業日で月間2万円ほどの節約になります。これは結構でかいです。その分で夕飯もしくは休日のランチを贅沢にしてみてはいかがでしょう。きっと満足度は上がるはずです。特に職場付近のランチが充実していない人などは間違いなくその方がいいでしょう。

 

<コーヒーやスナックは増えるかも>

 とはいえお腹は空くので、コーヒーを飲んだり、ナッツやスナックをつまんだりはしています。その量は昼食をとっていた頃より少し増えるかもしれません。それでも仕事のパフォーマンスとしては良化していると思うし、健康上もいまのところ問題ありません。なお、最初の1週間くらいは辛かったですが、2週目からは完全に慣れます。ちなみに、不思議なことに体重は変わりませんので、ダイエット方法としては向いていないやり方だと思います。

財布は必要なのかという問題

 先日、財布が壊れたので新しい財布を見ていたら、ふと思ったのです。そもそも財布は必要なのかと。昨今において、スマホの携帯はマストでしょうが、財布の携帯はマストではなくなってきていると思います。

 

①現金を使う機会はどれくらいあるか

 一般的なサラリーマンの場合、現金を使うのはせいぜいお昼休みのランチくらいでしょう。もちろん、夜に飲み会で支払う場合もありますが、カードが使えたらカードですし、後日に割り勘ならば振込やLINEpayなどいくらでもデジタル決済が可能です。そう考えると、平日はランチ5回×飲み会1‐2回といったところです。当然にタクシーや自動販売機・コンビニなどは電子決済ですね。休日は予定によりますが、やはりカードや電子マネーでほとんど間に合います。

 

スマホとカードと1万円

 上記より、一週間を過ごすために必要なものはスマホとカードと1万円だということが分かります。現金はお昼のときはマストですが、1万円あれば1週間は余裕でしょう。そして、スマホは常に携帯するので、カードと1万円をどうやって持ち運ぶか、というところが課題になります。

 

③マネークリップは違う気がする

 上記の条件にハマるのが、マネークリップというツールです。これは現金をむき出しで挟むもので、モノによってはカードも収納できるのでニーズに合致していると考えられます。しかし、やはり現金をむき出しで持ち歩くのはあまりいい気はしないのです。汚いし、モノを整理できていない印象があります。

 

④むしろ小銭入れでいいのでは

 あとは、ランチで使用した際のおつりはどうするか、という問題があります。これは少額であれば募金やポケットに入れてしまえばいいのですが、ある程度の量になると邪魔だし不潔です。そうなってくると、お札とカードが入る小銭入れが1つあればいいのでは?と思いました。なんとなく大人としてどうなのか?ダサくないか?という問題がありますが、カッコいい財布を持っていて奢らないオジさんより、ダサい財布で金払いのよい男に私はなりたいのです。

 

<とりあえず試行してみます>

 上記のような整理ができたので、スマートな小銭入れを探してみます。一緒に食事に行く人に、え?って思われそうですが、上記の理論を力説することで私の信者を増やしていこうと思っています。また使ってみて、メリデメも整理していきたいと思います。

アウトプットが可視化される世界で

 毎日のアウトプットを計測していますでしょうか?アウトプットとは生産したものを指し、自分が労働して創り出した資料や意思決定や作った売上などです。以前にも述べていますが、これからの裁量労働制や週休3日制、在宅勤務への移行に伴い、企業が従業員のアウトプットを測る仕組みが急速に構築されていくと考えられます。

①アウトプットは何か

 アウトプットとは、上記のように資料や意思決定や売上などであり、訪問件数や電話件数などそのアウトプットに基づくKPIも含めて考えていいでしょう。営業職であれば、今でもある程度可視化されていると思います。問題はバックオフィスで、今でも純粋な処理件数などはKPIとして管理されていると思いますが、そのような単純処理は基本的に自動化およびアウトソーシングされるため、付加価値が低いものとなっていきます。そうなると、企画職としての付加価値が求められます。

 

②アウトプットは何で測れるか

 アウトプットとは、上記のようなKPIで測れると思っています。企画職であれば、作った資料、メールの内容、会議の議事録などでしょう。これらは電子データのため、会社のクラウド上に記録が残っており、簡単に計測できます。本当は書きなぐりのノートでも構いませんが、これらは画像データであるため、自動的に判定するのはまだ少し時間がかかると思います。かわりに、メモ帳などのテキストファイルをアップロードする、などの方法になると思います。サラリーマンは一日を通して、これらのものを会社に納品するスタイルになると思っています。逆に、会社でのお喋りは全く評価されないでしょう。もちろん意味のある雑談があるのは理解していますが、それを評価する仕組みが作りにくい、というのが現状です。

 

③評価は明確になる

 上記のメリットは、働いている人と働いていない人の差が明確になることです。毎日アウトプットを出している人とそうでいない人が、データで明らかになります。もちろん、質も大切なので、直属の上司などが定性的な評価も加えますが、まずはアウトプットが無い人間は評価の仕様がありません。そしてアウトプットが目的になってくるので、会社にいようが在宅勤務だろうが評価は一律で可能になります。働くことが得意な人にとってはいいことしかありません。夜型であれば夜に生産すればいいだけで、満員電車に乗る必要もありません。

 

④アウトプットが苦手な人へ

 世の中のすべてのことに得意な人と苦手な人がいるので、アウトプットが苦手な人も当然いると思います。そういう人がこれからの時代を生き抜くために必要なことは、まず危機感を持つことだと思います。これまでアウトプットが計測できなかったために、ある意味下駄をはいた状態で生きている現在を直視し、これからの時代が求める働き方を理解すべきです。①-③の話は、スピードは不明ですが確実な変化として起こります。その際に、聞いてなかった、こんなはずじゃなかったと言って路頭に迷うのではなく、その時代に合わせた働き方をすればいいだけです。

 

<どんな時代にも生きる道はある>

 よく「AIが人の仕事を奪う」と聞きますが、今の仕事が無くなれば新しい仕事ができるので特に心配はしなくてもいいと思います。ただ、今の収入や地位をキープできるというか、という問いに対してはNoで、自身のいる今のポジションが、時代とともにどう変化していくかは冷静に捉えるべきです。おそらく、日本の企業でレイオフはあまり起こりませんが、極端な配置転換(事務職⇒SEなど)や、アウトプットが低い社員に対する給与カットがこれからどんどん起こります。時代や仕組みが変われば、ルールに応じた戦略を練ればいいだけなのです。

絶望感のすすめ

 あくまでも仕事面において、ということに限定すると、絶望するところから始めるのがよいと思っています。理由は、自分が届かないような高い目標にたどり着ける可能性があるとすれば、それは絶望するほどの現在地とのギャップを確かめた後にしかないからです。

 

①仕事における絶望とは

 仕事における絶望とは、自分がやったことのない仕事や取り組んだことのないテーマを始めるときの、途方もない感情です。まず何から始めたらよいか分からないし、周りの人が何を言っているのかも分からない。自分がそこに存在しているだけで、何のバリューも発揮していないのが誰から見ても分かるような状態です。これはとてつもなく辛いです。

 

②それだけの伸びしろがあるということ

 しかし、絶望があるということは、そこからは成長しかないわけです。毎日毎日わけのわからない言葉と向き合って、全く成長している感じはしないけれど、それは確実に成長をしています。自分では気づかないくらいの差分で、ほんの少しずつですが変わってきています。それが一か月、二か月、半年、一年と積み重なった時、以前では想像もできないような自分がそこにいるでしょう。

 

③とはいえ辛い

 ただし、それ相応の痛みを伴うことに間違いはないでしょう。何もできない自分と向き合うのはかなり辛いことです。心身共に相当なダメージを受けるでしょう。そんな時は、誰かとその辛さを共有したり、週末は全く違うことをしてリフレッシュしたりと、うまくバランスを取ることが大切です。気が付かないうちにかなり気を張り詰めているはずなので、リフレッシュしすぎているくらいがちょうどいいと思います。

 

④絶望は訓練できる

 このような絶望を乗り越えるためには、過去に似たような絶望を乗り越えたという成功体験が必要です。ただし必ずしも仕事で絶望を訓練する必要はなくて、勉強においても似たような環境を創り出すことが可能です。一番手っ取り早いのは、英語が話せない方であれば、単身で海外に行ってみると良いと思います。普通のことすらできなくて、学校に通っても友達や先生とマトモにコミュニケーションが取れない。これはかなり絶望します。しかし、不思議なことに頑張っていれば自然とできるようになってくるものです。

 

<絶望というコンテンツを求めて>

 経営コンサルタントという仕事は、プロジェクトの切れ目(1-2ヶ月に一度)、この絶望を味わうことになります。今まで聞いたこともないテーマでプロジェクトを手掛けることになり、よーいドンでその道の一流の人たちについていくことになります。そして最終的には、その人たいと対等かそれ以上のアウトプットを出す必要があります。最初は途方にくれますが、最後はなんとか達成することができ、その時の感覚は何とも言い表せないエクスタシーがあるものです。私たちは、不幸にもそういったコンテンツに取りつかれてしまった生き物であるともいえるでしょう。

なぜ偉い人の意見を優先するのか

 企業で働いていると、偉い人の意見を優先する場面が多々あります。もちろんサラリーマンなので、命令を受ける義務はあるのですが、会議や意見交換の場では言いたいことを言えばいいわけです。それをやってしまうと、大抵偉い人は年上なので、なんだか古臭いアイデアに落ち着いてしまうのがオチです。

 

①楽だから

 上記のようなシーンについて議題に挙げると、大抵「年寄りをトップに置くのはダメ」とか「おっさんは黙れ」とかいう議論になるのですが、ちょっと論点ずれてますよね。もし上記のシーンで、若者がエッジのきいたアイデアを熱弁していたとして、それを頭ごなしに否定するのであればその指摘は正しいのですが、大抵の場合はそうではありません。若者は自身のアイデアを熱く語ることも、反論することもないし、最悪のケースは自身のアイデアすらないのです。つまり、問題は若者側にあって、なぜそうなってしまうかというと、偉い人の言うことを聞いて行動していることが楽だからです。

 

②どうして楽なのか

 それはなぜかというと、「考えなくていい」からです。とりあえず偉い人にお伺いを立てて、偉い人が思いついたことをただ実行していく。これは頭を使わないのですごく楽です。失敗したとしても、偉い人が言ったのだから仕方ない、という風になる。責任もないのでめちゃくちゃ楽ですよね。これで給料がもらえるのですから、多くの人の行動がそうなるのも仕方ありません。そしてその若者はいつか偉い人側に回り、後輩たちに下らなくて古くて聞いたことのあるようなアイデアを述べるでしょう。当たり前ですよね。今まで考えてきたことが無いのですから。

 

 ③どうしてそうなってしまうのか

 この問題の根源はやはり、幼年期から学生時代までで根深くなっていると思っていて、先生に言われたとおりに行動したり、答えのある問題を解いたりすることに慣れすぎているのです。学校の先生は会社に入ると上司や偉い人に代わり、何かトラブルがあったら先生に聞くのと同じノリで、上司の意見を伺い、その通りに行動します。だってそれでいままでいい成績が取れたのですから。そして計算問題も証明問題も分からなければやはり先生に聞きます。先生が間違えていたらそれは先生のせいです。答えが間違っているなんてありえないのですから。しかし、実社会には先生もいないし、答えもありません。すべて自分の頭で考える必要があるのです。

 

④ではどうしたらよいか

 幼年期から学生時代までの教育を変えるしかないと思っています。先生もいない、そいて答えのない問題を解く時間を増やすべきです。この時間は義務教育においてはほぼゼロと言って間違いないでしょう。道徳やディスカッションも、謎のガイドラインみたいなものがあるし、先生が介入したりしてしまうでしょう。それだと普通の授業と何も変わりません。そうではなく、完全なフリーダムが必要なのです。実は、大学院教育では一部実現できていて、基本的には研究室に入ると教授も答えを知らないテーマに取り組みます。一人で闇の中から答えを探す訓練は、大学院でやっと与えられるのです。コンサルやシンクタンクでは、大学院卒しか採用しないところもありますが、ある意味理にかなっているといえます。

 

<考えない人に未来はない>

 誤解を恐れずに言えば、考えることを放棄した人に未来は無いと思っています。なぜならば、生きていくうえで先生などはいないし、答えなどどこにも転がっていないからです。AIが発達してもGoogleの検索結果が高度になっても、あなたの出したい答えは出てくることはなく、自分の頭の中にしかないのです。そうならないためには、教育を改善していくと同時に、考えない大人をいかに考える大人に変えていくか、ということが必要で、後者に関してはまだ良い方法が見つかっておりません。