人のために仕事を作ってはいけない理由
働いていると、「あの人に何をやらせようかな」みたいな議論があったりしますが、あれはすごく気持ち悪くないでしょうか。本来は仕事があって、それを実行するための人材がいるという順番なのに、逆転してしまっています。
①本来の順番
仕事が生まれるプロセスとは、以下の通りです。
1)なんらかのビジネスモデルが構築される
2)ビジネスモデルを成すシステムが構成される
3)システムの中での変動要素などが手作業として残る
4)手作業部分が誰でもできるように標準化される
ビジネスモデルを作ること自体を仕事にしている人もいますが、それについては最後に述べます。4)が終わった段階で、さぁ誰にやってもらおうか、と考えますが、基本的には誰でもできるように標準化されているので、誰でもいいはずです。
②誰にでもできる仕事だったはずのもの
しかし、世の中には誰にでもできるものではない仕事が多々存在します。それは資格などとは別に、作業の複雑さや仕事の歴史や背景などを把握する必要がある仕事です。神エクセルと呼ばれるような属人化した業務もこれに該当します。これらは元々①のプロセスで生まれた仕事なので、かつては誰にでもできる仕事でした。それを中途半端に賢い大人たちが、複雑怪奇に変えてしまったのです。
③人材のミスマッチが生む神エクセル
単純なインプットに対し、決められたアウトプットを返す、そんなシンプルな業務が、いつのまにか複数のインプットに対し複数のバリエーションで作業をし、複数のアウトプットをを生成することに変わってしまう。もちろん前者から後者に変更するのはとても大変ですし、業務としてのオペレーションを行うにも高度な事務処理能力が必要となります。よってそれを行うのは、高学歴で事務処理能力の高い人たちになります。そのような人たちは本来、ビジネスモデルを作る側に回るべきなのですが、人材のミスマッチにより一定数は事務作業を担当します。そこでは複雑なエクセルを作れる人は少ないので、神エクセルを作ることで事実上の神になることができるのです。
④神エクセルは何故いけないか
神エクセルは、神が存在するうちはよいですが、異動したり退職する途端に引継ぎができないものになります。また、自動化をする際も時間がかかる要因になります。本来は誰でもできたシンプルな仕事であったのに、努力が負債となってしまうのです。極論、複雑な運用をするくらいなら、単純なまま人数やラインを増やした方が健全なのです。
<仕事があって、人がいる>
話を戻します。上記のように、仕事が生まれ、そこに人間が必要になります。そして仕事の作り方は基本的に継続性や代替可能性を重視しています。つまり、その仕事がどれくらい発生するか見積もり、その分だけの人数を確保すればいいのです。急に人が現れて、その人のできることをする、というのはミッションが存在しません。ミッションが存在しない作業は仕事ではないです。
<ビジネスモデルを作る側の人について>
では、標準化されていない仕事についてはどうでしょうか。これにも上記の仕事と同じようにミッションがあります。それは新しい収益の柱となる事業を興したり、新しいサービスを開発することです。たまたまクリエイティブな人がいて生まれるのではなく、経営上クリエイティブが必要だからクリエイティブな人材をアサインするのです。そう考えるとやはり、「あの人に何をやらせようか」という議論が生まれる余地はありません。それはミスマッチの温床であり、ミスマッチは企業の負債の温床であることを忘れてはいけないと思います。