外資系コンサルの意識高い日常

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マウンティングのない世界へ

 世の中はマウンティングで溢れています。一般的にマウンティングとは、仕事、年収、彼氏、結婚、子供などの議題に対して、持っている人が持っていない人に対して字自虐風に自慢する、ということと理解しています。例えば、結婚して子育てしている人が、「独身は気楽でいいよね~」といった感じで独身男女に提言することです。

 

①マウンティングの起源

 マウンティングとはいつから始まったのでしょうか?自身の幼少期を思い返すと、おもちゃの有無や旅行の有無など、少なからず友達に自慢したり自慢されたりしていたような気がします。「友達が持っているから私もおもちゃを買ってほしい」などという文脈は、まさに小学生のマウンティング事情を表していると思います。もちろん個人差があり、そういった経験がない方もいるでしょうが、残念ながら私たちは根っからのマウンティング気質なようです。

 

②マウンティングは悪か

 マウンティングの根底にあるものとして、「自分の話を聞いてもらいたい」という欲求があると思っています。その欲求はかなり健全なものだと思っていて、自分の話を聞いてくれる存在は自身の精神をかなり安定させます。小さいときは多くの場合、それがお母さんという存在で、また思春期を迎え、親友や彼氏・彼女に変わっていくでしょう。たいていの悩みは、人と話してしまえば和らぐものです。しかし、そのうえで「肯定されたい」という欲求がすこし話をややこしくしてしまっていると思います。

 

③肯定されたい、という欲求

 「話を聞いてもらいたい」という欲求をベースに、「自身を肯定されたい」という欲求が重なります。誰しも自分の話は否定されずに聞いてもらいたいし、自分の選択が正しかった、と肯定されたいという欲求は少なからずあると思います。しかし、それが一定のレベルを超えてしまったときに、マウンティングが発生してしまう、と私は考えています。「自分の意見を肯定されたい」「自分の選択は正しい」ということを確認するために、異なる意見や環境にいる人たちに対して、マウントをとることで黙らせ、否定意見を牽制しているのです。

 

④ではどうすればいいか

 上記よりマウンティング発生のメカニズムについてはご理解いただけたかと思います。では、マウンティング合戦を防ぐにはどうしたらよいのでしょうか。結論としては、「その場の空気に多様性を持たせること」だと思っています。例えば、国籍が違う人が数人集まった時に、マウンティング合戦は起こりません。誰かの普通は、他の誰かの普通ではなく、年収も家族構成も違って当たり前だからです。友達も同僚も、たまたま一瞬場所が交わっただけでまったく違う環境で生きているのですから、誰がいつ何をしようと気にしなくていいのです。人の数だけ人生があるのですから。

 

<マウンティングのない世界へ>

 私はマウンティング合戦みたいな会話や飲み会が好きではありません。理由は、異なるフィールドや前提を元に意味のある議論ができるわけがなく、結果として楽しくないからです。自分の意思決定が正しいことは、自分でしか証明できないのです。その意思決定に対するインプットが異なるのですから、他人に評価してもらっても、されなくても、何の意味もありません。近況報告が間接的なマウンティングになり得るなら、別にその話題すら要らないと思っています。友人というのは、近況を報告するだけの対象ではありません。この広い世界の中で、偶然出会った人たちとどんな時間を過ごすのか、どうやったら楽しく過ごせるのかというのは永遠のテーマですが、「あいつのことはよく知らないけど友達だよ」と言って、笑って過ごせる関係性も悪くないと思います。