外資系コンサルの意識高い日常

外資系コンサルのサラリーマンが意識高い(系)の日常をpostします。就職、転職、留学、自己啓発やその他考え方など

助走期間が人を作っていくという話

 私が外資系コンサルに転職して1年ほどが経ちました。振り返れば数年経ったくらい長く感じる1年で、感覚としては「充実していた」というよりは「なんとか耐えた」という表現が正しいと思っています。その理由として、いくつか考えられる点を整理していきたいと思います。

 

①スキルセットの違いに苦しむ

 転職して大きく異なるのがビジネスマンとしてのスキルセットでした。前職はいわゆる日系大手企業で、とりわけ日本語でのコミュニケーション能力が重要でした。ドキュメンテーションもそうですが、やはり「話す力」が重要で、各部の主張を整理して会議をファシリテートしたり、癖のある人と仲良く仕事を分け合って仕事ができることで評価をされてきたと思っています。一方でコンサルにジュニアクラスで入ると、「一人で」「スキのない」ドキュメンテーションができることが、呼吸をするかの如く求められます。

 

②アマゾンの密林で捉えられたときに何を書くか?

 その異常とも感じられるドキュメンテーションへのこだわりは、日本語で文章を書くことについて苦手意識のなかった私にとってもかなり堪えました。上司には「アマゾンの密林で捕まって、この一枚の紙を使ってしか助けを求められなかったとする。その時は命がけで書くよな?そうだと思って紙を書け」と言われ、「君は日本語が苦手だね」とさんざん言われ、ひたすらに物事を構造化し、メッセージを書き直し、繰り返していると日付が変わっているような日々を過ごすことになりました。

 

③その日は必ず来る

 夜明けの来ない夜が無いように、いわゆる会社としては「人間以下」となるようなスキル状態がしばらく続き、30年間で得た自尊心がほぼゼロになったころ、少しずつ光が見え始めます。これまで何も思わなかった新聞や本の文章、人が作った資料に違和感を覚え始め、「俺だったらこう書くな」という自分なりの正解がぼんやりと浮かび上がってくるのです。その時、雑多な情報を整理し、ドキュメンテーションをするという、一つの型ができあがりつつありました。もちろん、その成長に対する喜びはすぐに別の試練の苦しみに消されてしまうことになるのですが・・・

 

④試練は続くよどこまでも

 「人の成長」を前提としているコンサルティングファームにおいて、現状維持している人間に価値はありません。一つできるようになったらさらに高いボールが必ず投げられます(逆に試練を超えられない人に、二度とチャンスは訪れなかったりもします)。スポーツテストのシャトルランに似ている感覚で、壁を越えられないひとが徐々に脱落し、走れるやつだけが最後まで残り、どんどんスピードが加速するような環境です。もちろん向き不向きもありますから、シャトルランに向いていないと思ったら立ち止まるもの立派な選択で、私は偶々一年やりましたが、いつ止めるか分かりませんし、それを別に悪いことだとも思っていません。

 

<キャリアに助走期間は必要か>

 少し根性論も入っていますが、仕事で成果を得るために、正しい助走期間は必要だと思っていて、コンサルティングファームはそれを得られる絶好の環境です。昨今、働き方改革の名のもとに、新人や若手社員が修行できる環境は昔ほど多くありません。売れないセールスを繰り返したり、日の目の出ない資料を作り続けたり、会社にとっては無駄である活動を、新人教育という名のもとに行うことができたから、新しいステージに行けた人は少なくないと思います。働き方改革で「修行がいらない世の中」になったのではなく、「修行の有無や修行のメニューが自分で選べる」ようになったのだと認識すべきで、昔と変わらず、というよりはむしろ昔より、助走期間の重要性は増していると思っています。