外資系コンサルの意識高い日常

外資系コンサルのサラリーマンが意識高い(系)の日常をpostします。就職、転職、留学、自己啓発やその他考え方など

勉強は必要なときにやればいいけれど

 最近、リカレント教育という言葉をよく聞くようになりました。社会人が大学院に行って学びなおしたりすることを指しますが、そもそも社会人は学ばない、という前提があるように思います。普通に考えれば、資本主義社会で経済活動をするうえで、むしろ学生時代よりも学びの量やスピードが必要になるはずです。

 

①勉強する時間がないのではなく、作らないだけ

 よく勉強する時間がない、という人が言いますが、自分の予定をコントロールすればいくらでも作れるはずで、時間を作っていないだけです。逆にそれだけ優先順位が低いのであれば、いっそのこと「やらない」と割り切ってしまった方がいいです。「必要なんだけど、やっていない」、というのは精神的にもよくないですし、自分で自分をコントロールできないということを自分自身に植え付けてしまいます。

 

②勉強は必要なのか?

 勉強というより、インプットが必要な部分はたくさんあると思います。それは人それぞれにタイミングも量も異なります。なので、逆説的ですが必要な時に勉強ができればいいと思います。コンサルタントという職業は毎月プロジェクトが変わったりするので、毎月全然違うジャンルの本を読んでいたりします。かといって毎日勉強しているわけではなく、必要な時に必要な量をやっているだけです。

 

③なんとなくやることに意味はない

 一番やってはいけないのが、なんとなく今後必要そうなジャンルを勉強する、という行動です。そもそも、使うか使うか分からないようなスキルを身に着ける意味が分かりませんし、そんな動機で身につくほど甘い世界でもないでしょう。実際に必要に駆られて勉強している人には太刀打ちできないし、その程度のうっすらとした知識は必要な時に1日でキャッチアップできるはずです。

 

④学生時代には何を勉強するべきか

 それでは、特に会社や強制的な要請のない学生時代には何を勉強したらよいでしょうか。正解は、好きなことを勉強することだと思います。社会に出れば、「やらなくてはいけない」勉強はたくさんできますが、純粋な興味関心で学べる時間は多くありません。世の中で役に立つとか立たないとかは全く関係ありませんし、少なくとも日本ではどんな学部を卒業しても、特殊な職業以外は就くことができます。

 

<勉強の基礎体力について>

 上記の通り、勉強は必要な時だけ集中してやるのが正解だと思います。ダラダラやっても、目的もなくやっても意味がありません。ただしその際いかに集中できるか、というのは基礎体力が必要だとも思います。それは学生時代集中して勉強した経験があるとか、集中してスポーツや趣味に打ち込んだ経験があるとか、そういった類のものです。自身で自身の能力を高める方法を知っている人と知らない人には大きな差があり、それはこれからの時代により大きな差を生むと感じています。

PDCAの終焉

 つい最近までビジネスやあらゆる領域で王道だったPDCAサイクルが終焉を迎えようとしています。何故ならそのスピード感では何も得ることが出来ないからです。

 

PDCAは最強だった

 計画して実行して、チェックして修正するサイクルは、ビジネスでもスポーツでもどんなものにも活用できました。私もつい最近までこのフレームを多用しており、そのおかげで成功したケースもありました。しかし、ここ最近ではそれが上手くはまらないケースが増えたと思っています。※この理由については別途述べたいと思います

 

②計画に時間がかかり過ぎる

 PDCAを使うデメリットとしては、計画を精緻に立てようとして日が暮れることです。頑張って崇高な計画を立てたはいいが、そのせいで実行フェーズが半年遅れてしまっては本末転倒です。実行して刈り取る期間は基本的に早ければいいはずで、それを後ろ倒してまで計画に熱中してしまうのは、サラリーマンのPDCA崇高によるものといえるでしょう。実行やモノが完成する頃には、時代が変わって使い物にならないでしょう。

 

③ではどうしたらいいか

 PDCAを使わない場合、どうやって物事を進めれば良いでしょうか。答えは即実行することだと思います。Pは省き、DCAを行う。実行した後はチェックと改善をしますが、プランニングまで遡る必要はない。これで大抵のことは上手くいくと思います。結局プランニングは辻褄合わせでしかなく、実行ありきの正当な理由を練り上げているだけなので、単に早くモノが出来上がることになると思います。

 

コンサルタントはどう生きるか

 ここまでPDCAが使えなくなったと言う話をしてきましたが、コンサルタントの強みは正にこのプランニングにあり、私たちはプランニングによりお金をもらっています。だからこそこのフレームが使えなくなったことを実感できるのですが、問題はプランニングを失い、我々は食べていけるのか、と言うことです。答えとしては、おそらく食べていけると思います。その理由は色々あるのですが、プランニングは無くともストーリーテリングが必要なシーン、テクノロジーのつなぎ目等がポイントだと思っています。

 

<フレームからの脱皮>

 現代は色々なフレームがあり、先人の知恵を借りて素早い意思決定ができますが、それらはツールであるので、当然にアップデートしないといけないわけです。ある程度のフレームを身につけたら、一度そこから脱皮し、今の自分と時代に合うような考え方を身に付けることが必要だと思います。

ダメなものをダメと言うことの価値

 やってはいけないことが世の中にはたくさんあって、それをしないような仕組みを作ることは非常に重要です。しかしそれで問題は本当に解決するのでしょうか。

 

①ダメなものに対してダメと言うことに価値はない

 スポーツでも仕事でもよく「ミスをするな」と言われることがありますが、それでミスが無くなったということを聞いたことがありません。また、恋人に「浮気をするな」と言っても、浮気は無くならないでしょう。不味いレストランに行って不味いといっても美味しいものは出てこないし、嫌いな人に嫌いと言っても嫌いなままでしょう。その言葉は、思っていても口に出すべき言葉ではないです。価値が無いからです。

 

②指示ではなく思いで伝える

 代わりにどうすればいいか、というと簡単で、自分がどう思っているかを伝えればいいのです。ミスの許されない大切な仕事ならば、「私はこういう理由でこの仕事を大切だと思っていて、ミスが許されないから○○さんにお願いした」、大切な恋人ならば「こういう理由で大切だと思っている」、レストランにはこういう味やサービスを期待していた、というフィードバックをすればよいのです。これらの思いには価値があります。それで改善するとは限りませんが、言われた側の行動には具体的な変化があるでしょう。

 

③結論よりも背景が大事な場面がある

 ①-②の話はいづれも、何を思っているかを伝えていることにあります。求めている結果を相手に伝えたところで、当然に相手は知っているわけです。親が子供に「100点を取りなさい」「早く帰ってきなさい」と繰り返したところで何の意味もないことは誰でもご存知かと思います。そういった場面では、その言葉の背景を伝えるべきなのです。メッセージというのは表面であり、果物で例えれば皮でしかないです。果実の部分を貴方の中に眠らせてしまっては、何の価値もないのは言うまでもありません。

 

④背景の理解はこれからのマーケティングのKPIになる

 同様に、人の年収や家族構成といった属性情報は結論でしかなく、果物の皮です。重要なのはその人の価値観や考え方であり、家を買ったり車を買ったり、どんなレストランに行ってどんな人と付き合うかはその人の表面を見ていても予測することはできないでしょう。ただし、その人の価値観に寄り添い、考え方を理解したならばそれは容易に想像できます。それこそが現代のマーケティングの基本であり、顧客を理解することだと思います。

 

<相手の立場に立つということ>

 ①-④の話をまとめると、相手の立場に立って物事を考える、ということです。言われた側、マーケティングされた側がどう思うか想像してください。その言葉をきっかけに自身の行動が変化するでしょうか?変化しなければそれはただのノイズです。情報が多い時代には、その人に刺さる言葉をどれだけ言えるかが重要であり、それはつまり相手の立場で発信できるか、という非常にシンプルな問題なのです。

物理と行動が乖離する時代に

 以前は物理的な事象と人間の行動が紐づいていましたが、現在は違います。それはデジタル化の進展が主な要因ですが、上記が理解されないまま、現行の制度が追い付いていないため、いろいろな課題が発生しています。

 

①物理的な事象と人間の行動が一致していた時代

 スマホが完全に普及する2010年より以前は、人と会うことでしか達成できない目的が多々ありました。ガラケーは普及していましたが、口頭で物事を伝えることが精々であり、Skypeもありましたがガラケー同士で利用はできませんでした。よって、会社には出勤しないと何も始まらないし、電話やメールでミーティングをセッティングしてからクライアントに会う必要がありました。つまり、「行動をしているかどうか」はその人が物理的にどこにいるか、を測ることで計測が可能だったのです。

 

②物理的な事象はもはや行動とは離れている

 現代は、行動は物理的な事象と関連がありません。電話会議やWEB会議により音声だけでなく、資料や映像も投影でき、国内だけでなく海外ともシームレスに仕事ができるようになりました。会社に行かなくても仕事を生むことができ、進めることもできます。つまり、「行動しているかどうか」はその人の物理的な情報には関連しません。しかし、未だに①のロジックで評価基準が作られている場合もあります。会社に来ないで仕事をしている人と、会社に毎日来るけれどずっとネットサーフィンをしている人と、それぞれを正当に評価できている会社はどれだけあるでしょうか。

 

③事象と行動は乖離し続ける

 効率を重視するビジネス社会ではこれらは加速度的に進んでいくでしょう。実際、管理職というロールは先進的な企業では変わり続けています。「人」を管理するのを辞め、「プロジェクト」を管理する方向性にシフトしています。こう言うと、皆「プロジェクト」を管理している、と反論するのですが、実態は「誰が休んだ」「誰の仕事が遅れている」と「人」が主体になっています。本来あるべきは、誰の行為であれ、それがプロジェクトや目的にどのような影響があるか見極め、適切な行動と指示が行えるのが管理職です。

 

④時代が変わり、それに対応するだけ

 これまでは、①の状況であったから「人」を管理するのが最適解でした。誰がどこにいるか把握することで、プロジェクトの状況も容易に把握できました。リーダーの右腕が喫茶店でのんびりしていることが分かれば、それはリスクと捉えるべきだったのでしょう。ただし、現代はスタバにいようが家にいようが関係はないし、クライアントと対面の打ち合わせが無くとも契約ができます。昔の管理手法が悪いのではなく、古くなってしまったのでアップデートする必要があるだけなのです。

 

ブラックボックス化する中で大切なこと>

 ①ー④で述べたように、目に見えないところで成果が生まれる時代であり、そのプロセスを無理に追うのはナンセンスかな、と思います。世の中の流れとしても、見えないプロセスの可視化よりも成果主義にシフトしていくと思いますし、プロセスの評価が長時間残業や「人」の管理を生んでいるのは明らかだからです。ではどうすればよいかというと、プロセスをパッケージ化してしまう、ということだと思っています。これについてはまた長くなるので、次の機会に書きたいと思います。

成長の法則

 本日はシンプルに成長の方法論について書きたいと思います。それも、ごく一般的にサラリーマンになる層である私たちにとって、成長するための環境を定義していきたいと思います。

 

①他人の目+時間的制約

 30年くらい生きてきてこれが簡単で納得のいく答えでした。

1)自分以外の他人に

2)時間的制約のある仕事が与えられる

この二つの状況が組み合わされば、基本的に成長できる環境であると言えるでしょう。逆にどちらかが欠けている場合、一般的に成長できないと考えた方がいいです。以下でその理由について述べていきたいと思います。

 

②他人の目が必要な理由

 私(達)は弱い人間なので、自身で設定した目標を達成するのは難しいです。中にはストイックで、スポーツ選手のように自分を追い込むことができる人がいますが、少数です。またそんなスポーツ選手でも、必ずコーチをつけています。自身を客観視するというのは想像以上に難しいのです。

 

③時間的制約が大切な理由

 成長の定義によりますが、筋トレでもランニングでも自分に負荷をかけないと限界は伸びていきません。心地よい状況を保っていては、それは現状維持ではなく停滞に近いです。特にコンサル業界では、「明日までやっておいて」からの徹夜、というパターンが多いですが、徹夜の良しあしは置いておいて、一日で仕上げなければいけないというプレッシャーは相当きついので、一日あれば大体のことが出来るようになる人間が育ちます。それはきっと、そのような指令のない会社では身に着けるのは困難でしょう。

 

④環境を変えない限り成長は非現実的である

 上記二つの要素は、到底自分だけで作り上げられる環境ではありません。一般的に上司や同僚は選べないし、時間的制約も自身で徹底することは不可能に近いです。なので、そのような環境を望むのであれば、自らの環境を変える必要があります。非常に悲しいことですが、「心地よい」と思った瞬間に、その環境での成長の伸びしろはほとんど無いと言っても過言ではありません。悲しいことですが成長を望むのであれば、常に空気の薄い場所を探して彷徨う必要があるのです。

 

<いつまで成長したいのか>

 ここでふと思うわけです。自分はいつまで成長したくて、ギリギリの生き方を望むのであろうと。答えは自分の中にあり、マイペースでいいのです。ずっと走り続けるのもいいし、走っては休み、を繰り返すのもいい。歩くだけの人もいいでしょう。私が言いたいことは、自身の人生に合わせた選択をすればよくて、例えば「成長したい」といいながら歩いているような人は、正しい環境に身を置いた方がいいし、歩きたいのに走らされている人は早くやめるべきです。それは、自身の覚悟で何とかなる問題ではなく、環境を変えるしかないのです。

ワールドカップで日本のサッカーが勝てない理由

  はじめに、私はサッカー日本代表を応援しています。試合当日も全力で応援します。ただし、論理的に考えて今回のワールドカップで日本はグループリーグを突破できないと思います。それは明らかなことだし、多くの人が理解したうえで応援していると思います。試合後にアレコレ言うのはカッコ悪いので、試合前に書いておこうと思います。

 

①客観的事実に基づく判断

 もっと詳しい方が書いているのでここで具体的なデータは出しませんが、グループリーグの相手の情報(コロンビア/ポーランド/セネガル)の情報を仕入れればすぐに分かることです。グループリーグ突破に必要な勝ち点を稼げる確率はどうでしょう?20%くらいでしょうか。もちろんゼロではないので突破できる可能性はありますし、だからこそ応援しているのですが、まぁ普通に考えれば勝てません。

 

※参考記事。ここでのグループリーグ突破は35%程度と算出されています

dot.asahi.com

 

②組織的な問題

 内部の事情は分かりませんが、外から見るだけで日本代表の組織マネージメントは上手くいっているように思えません。本田選手を代表とする86年生まれについては個人的にリスペクトはしていますが、彼らが主力メンバーとなっている状況は世代交代の失敗を表しているし、また番狂わせの可能性を減らしている要素になります。ゲバ評が悪かった2010年の状況と比較する人もいますが全く違います。当時の平均年齢は現在より2歳ほど若く、グループリーグ内の実力も拮抗していませんでした。(どこに負けてどこに勝つかという作戦が立てやすかった)

 

③日本全体にはびこる年功序列

 今回のメンバーが「年功序列」と揶揄されているように日本の企業でも年功序列は今もなお納得感のあるロジックとして定着しています。それはなぜかというと、ほかに決め手がない場合に、「年齢順だよ」と言うと「仕方ないね」という風潮があるからです。私は一度実験してみたいのですが、組織の全員が他人の年齢を一切分からないようにすると、どういう序列ができるのでしょうか。はじめは見た目でオジサンに気を遣うかもしれませんが、徐々に仕事ができない事実等が露呈され、最終的には実力主義の序列ができるのはないでしょうか。おそらく、無人島などのサバイバルな世界でもそのような序列となるでしょう。

 

④日本人が日本人のリーダーとなることの難しさ

 ③で述べたように日本人の揺るがない判断軸は年齢です。年齢ごとにロールモデルがあり、その序列に従っていく。他国のように国籍や言語が違うとそうも言っていられませんが、大抵の場合はモノカルチャーで政治ができてしまうので、拠り所が年齢や過去の実績しかないのです。今回、急遽抜擢された西野監督は非常に難しい選択を迫られましたが、そこで自身を守るためには今回のメンバーを選ばざるを得ないでしょう。実際に若手を見る時間すらなかった、というのもあると思います。ですが全く知らない海外の監督をアサインしていたらどうでしょう。180度変わるとは言いませんが、批評は気にせずにもっと自由な選抜をできたのではないでしょうか。もはや日本の大きな組織を日本人がリードしていくには困難なのだと思います。外国人リーダーは日本の忖度を無視したドラスティックな選択ができます。外資系企業や外国人経営陣の会社が業績を伸ばしていく傾向は今後も続くと思います。

 

<まずは年齢の呪縛から解放されよう>

 サッカーの話については、選考は年齢というより人気や過去の実績が評価されている部分が多いですが、チームとなった後には年齢的な序列が発生している、という意味でそう書きました。身近な面では、まず年齢を気にする文化を撤廃すべきかなと思います。テレビや新聞で芸能人に(30)とか書くのを禁止し、サラリーマンが入社年次を気にするのを止めるところから始めたら、もう少し合理的な判断ができるのではないでしょうか。そこでみんなであらためて、「リーダーの要件」「組織のあるべき姿」を考えるきっかけができたら素晴らしいですね。

週休3日制度への対応力をつける

 すっかり定着した働き方改革というワードや早帰りデーというキャンペーンとともに、2020年くらいからは週休3日制の会社がどんどん増えてくると思います。その際、サラリーマンである私たちが留意すべきことについて考えてみたいと思います。

 

①週休3日制は自然な流れである

 日本人は働きすぎ、ということを聞いたりしますが、単純に拘束時間や労働時間が長い、という捉え方が正確だと思います。要は生産活動のしていない実質非稼働時間を足し合わせれば1日分になるので、週休3日でも生産量は変わらないでしょう。逆に言うと、日本人が生産性を上げるために一番簡単な方法が週休3日制だと思います。だからこそ、これは自然の摂理であり、近年で大きく広がると私は予想しています。

 

②週休3日は嬉しいけれど

 多くのサラリーマンにとって、週休3日は幸せなことでしょう。家族と共に過ごせる時間も増え、前の日に遅くまで飲んだり遊んだりできる日が増え、自由な時間が幸福度を上げていくでしょう。しかし、多くの企業で存在している給与ロジック(時間×時給)をそのまま適用すると、給与は80%に目減りします。なので、あるべき移行計画は以下となります。

1)裁量制(成果制)への移行

2)週休3日制への移行

 この順番であれば、給与は不変で労働時間が減ります。なぜなら給与と労働時間は連動しないことを1)で認めているからです。つまり大勢が望む2)を実現するには、多くが反対するであろう1)を実現しなければいけないのです。

 

③休日が1.5倍になることで格差は広がる

 非常に残酷な見込みとなりますが、週休3日制が訪れることで、幸福度や富の格差は広がります。なぜなら家族や友達と過ごせる時間が1.5倍になることで、家族や友達のいない人にとっては1.5倍の疎外感を味わうからです。ある意味会社に行くことでアイデンティティを保てていた人たちが居場所を失うことになり、いわゆるパリピみたいな人が更に幅を利かせることになります。

 

④ではどうしたらよいか

 リア充かそうでないかみたいな議論は別にして、資金面でも格差は広がります。それは副業やビジネスを自分で持っている人は、今までの1.5倍速で活動できるからです。会社以外の時間は寝ている、みたいな人とは格差が広がっていくことでしょう。しかし、諦めるのはまだ早いです。幸い週休3日制がマジョリティになるには時間がかかります。それまでに自身の時間の使い方をもう一度見直した方がいいです。趣味でも勉強でもビジネスでも友達作りでも何でもいいですが、来たる人生の夏休みに向けて、計画を立てておくべきでしょう。

 

<隣の芝生は青いけれど>

 どんな状況であれ、うまくいっている人とそうでない人がいて、それはある側面でいえば真理なので、羨ましかったりするものです。ただし、それはきっと見えない過去の努力や行動が成すものであり、逆の側面でいえば立場が逆転することもあるでしょう。この広い世界の中で、偶然目にした周囲と比較することにあまり意味はありません。視点を少し変えて、少し先の未来を予想し、自分がどうありたいかを想像してみると、自ずとやるべきことが見えてくるはずです。