外資系コンサルの意識高い日常

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残業とは何か

 働き方改革高度プロフェッショナル制度、という話がよく出てきています。この話題について改めて考えてみると、残業とは何か、はたまた仕事とは何か、という深い話になっていくのですが、そもそも論点がずれている場合が多いと感じます。

 

①「働いた時間=給料」の制度

 働いた時間だけ給料が欲しい、というのは当たり前の考え方だと思います。基本的に仕事量が多ければ働く時間も増えるので、多くの給料がほしいものです。そう考えると、残業をしたなら残業代は給付すべきです。サービス残業も悪でしょう。一方で定時時間中に無駄話をしたり、サボっていたらどうでしょうか?働いた時間だけ給料を払うのですから、働いていない分は無給でいいですよね。私は、前者のみを主張する人はこの視点が欠けていると思います。

 

②「出した成果=給料」の制度

 達成した成果の分だけ給料が欲しい、というのもすごく合理的だと思います。長い時間をかけようが、成果に結びつかなければ意味がないし、逆にちょっとしか働かなくても与えられたロールを満たしていれば会社に貢献できています。一方で、朝礼とか定例会など成果に直接結びつかない会議への参加や、定時に出社しなければいけないという制度自体が、上記考え方と反しています。成果主義を謳っている会社でも、矛盾する後者のルールが含まれている会社が多い印象です。

 

③どちらも経験した私が思うこと

 ①②に述べたように、①は従業員優位、②は会社優位の構造となっています。なので多くのサラリーマンは①を主張し、会社側は②を主張しがちです。私は前職で①、現在は②の仕組みの中で働いていますが、やはりどちらも片手落ちである、という感想です。①であればダラダラ仕事する人を是正する仕組みがないし、②であれば全く会社に来なくて成果を出しているような人を許容できない。

 

④問題は、働き手を評価できないところにある

 この手の話題はかなり議論されているけれど、どれも論点が定まっていないような印象です。ダラダラするから①はダメ、働きすぎるから②はダメ、といいますが、本当の問題は何でしょうか?私は、働き手を評価する仕組みがないことにあると思います。残業を減らすことを考えるよりも、職業のカテゴリーごとに最適な評価の仕組みを考えることにリソースを割いたほうがいいと思います。評価の仕組みさえあれば、時間でも成果でもどちらで測ってもいいと思います。どちらで測るのが適正かどうかは業務内容次第だからです。

 

<これからどうなっていくか>

 まず、テクノロジーの進歩により①で測れるような比較的単純な作業については、自動化が進んでいく領域になります。なので、その業務に就く絶対数が減り、②で測るのが適正であるホワイトカラー職にシフトしていくと思われます。よって、多くの人が②によって評価される環境になると想定され、そういう意味で高プロの範囲を広げる議論は当然の流れだと思います。ただ、そこで問題なのが完全に②にシフトしていない端境期にこの流れに巻きこまれてしまう、①で測るのが適正な業務に就く人たちです。この人は大量の紙を処理したりサービス業をしている方達ですが、ホワイトカラー職と同じ会社に所属している、というだけで②が適用されてしまう危険性があります。

 

<同じハコの中では語れない>

 多様化する社会の中で、同じ会社とはいえ同じ制度が適用できない状態にあると思います。すごく面倒ですし不公平感も多少生じますが、横並びの制度設計は限度があると思います。現代の端境期においては、そういった個別対応が必要になると思います。とはいえ、おそらく10年後くらいには日本人の多くの仕事が②で測れる仕事にシフトしていると思います。そのためにも、②の制度の柔軟性を高めていく必要があると思っています。