なぜ偉い人の意見を優先するのか
企業で働いていると、偉い人の意見を優先する場面が多々あります。もちろんサラリーマンなので、命令を受ける義務はあるのですが、会議や意見交換の場では言いたいことを言えばいいわけです。それをやってしまうと、大抵偉い人は年上なので、なんだか古臭いアイデアに落ち着いてしまうのがオチです。
①楽だから
上記のようなシーンについて議題に挙げると、大抵「年寄りをトップに置くのはダメ」とか「おっさんは黙れ」とかいう議論になるのですが、ちょっと論点ずれてますよね。もし上記のシーンで、若者がエッジのきいたアイデアを熱弁していたとして、それを頭ごなしに否定するのであればその指摘は正しいのですが、大抵の場合はそうではありません。若者は自身のアイデアを熱く語ることも、反論することもないし、最悪のケースは自身のアイデアすらないのです。つまり、問題は若者側にあって、なぜそうなってしまうかというと、偉い人の言うことを聞いて行動していることが楽だからです。
②どうして楽なのか
それはなぜかというと、「考えなくていい」からです。とりあえず偉い人にお伺いを立てて、偉い人が思いついたことをただ実行していく。これは頭を使わないのですごく楽です。失敗したとしても、偉い人が言ったのだから仕方ない、という風になる。責任もないのでめちゃくちゃ楽ですよね。これで給料がもらえるのですから、多くの人の行動がそうなるのも仕方ありません。そしてその若者はいつか偉い人側に回り、後輩たちに下らなくて古くて聞いたことのあるようなアイデアを述べるでしょう。当たり前ですよね。今まで考えてきたことが無いのですから。
③どうしてそうなってしまうのか
この問題の根源はやはり、幼年期から学生時代までで根深くなっていると思っていて、先生に言われたとおりに行動したり、答えのある問題を解いたりすることに慣れすぎているのです。学校の先生は会社に入ると上司や偉い人に代わり、何かトラブルがあったら先生に聞くのと同じノリで、上司の意見を伺い、その通りに行動します。だってそれでいままでいい成績が取れたのですから。そして計算問題も証明問題も分からなければやはり先生に聞きます。先生が間違えていたらそれは先生のせいです。答えが間違っているなんてありえないのですから。しかし、実社会には先生もいないし、答えもありません。すべて自分の頭で考える必要があるのです。
④ではどうしたらよいか
幼年期から学生時代までの教育を変えるしかないと思っています。先生もいない、そいて答えのない問題を解く時間を増やすべきです。この時間は義務教育においてはほぼゼロと言って間違いないでしょう。道徳やディスカッションも、謎のガイドラインみたいなものがあるし、先生が介入したりしてしまうでしょう。それだと普通の授業と何も変わりません。そうではなく、完全なフリーダムが必要なのです。実は、大学院教育では一部実現できていて、基本的には研究室に入ると教授も答えを知らないテーマに取り組みます。一人で闇の中から答えを探す訓練は、大学院でやっと与えられるのです。コンサルやシンクタンクでは、大学院卒しか採用しないところもありますが、ある意味理にかなっているといえます。
<考えない人に未来はない>
誤解を恐れずに言えば、考えることを放棄した人に未来は無いと思っています。なぜならば、生きていくうえで先生などはいないし、答えなどどこにも転がっていないからです。AIが発達してもGoogleの検索結果が高度になっても、あなたの出したい答えは出てくることはなく、自分の頭の中にしかないのです。そうならないためには、教育を改善していくと同時に、考えない大人をいかに考える大人に変えていくか、ということが必要で、後者に関してはまだ良い方法が見つかっておりません。